You are practicing something all the time.(いつも、プラクティスしている)
プラクティスとは?
何かを身につけるために、「くりかえし」することです。
というと、意図的に、目的をもってすること、意識してする「練習」を思い浮かべるでしょう。
でも、プラクティスとは、それだけでありません。
というより、そのような意識的なプラクティスは、全体のごく一部です。
むしろ、ほとんどは、ふだんは気づかずにしていることです。
プラクティスの95%は、無意識的な流れの中にあります。
無意識的?
そうです。すこし、説明がいりますね。
無意識とは、意識がない時、という意味でありません。
少し意識して始めるけれど、やっている間は、無意識的な流れにのった動作。
その流れにそった心理も含めた、ふるまい全体が「心の働き」です。
要するに、ふだんの生活の中で「くりかえし」やっていること。
気づかぬうちに、くりかえしていることは、「プラクティスしている」のとおなじことです。
スポーツや演奏など、スムーズに身体が動いている時は無意識的です。
意図したプラクティスの中にありますから、想像がつきやすいですね。
でも、自覚していないことは、ほとんど気づきません。
言ってみれば、心の働きは「自動運転」です。
私たちの日常の95%は「無意識のふるまい」だという科学的な研究があります。(*注1)
目的や自覚もないこと、気づいていないことは、プラクティスとはよばない、というだけのこと。
95%って、ホント?
そうです。数字だけをまとめると上の円グラフのイメージです。
円グラフは、全体をまとめた、集計のようなもの。
なので、むしろ、下のイラストのような、時間の流れでイメージしてみましょう。
緑色系のまとまりが、無意識。
オレンジ色の
区切れや枠のようなものが、全体を括るのが、意識、意図。
それらを足し合わせると全体の5%。
あくまで、想像するための略図(モデル)です。
じぶんのふるまいが刻々移り変わっていく様子。
時間の目盛りを小さくしても、大きくしても、こんなかんじに捉えられます。
私たちの日常の95%は、無意識のふるまい。
つまり、歩いたり、話したり、書いたり。食べたり。
動作のはじめとおわり、それに時々、意識が傾き、区切れや途切れができる。
You are practicing judging something without knowing it.(知らないうちに、答えを決めるプラクティスをしている、じぶん)
「考える」という行為もおなじです。
考える、というと、意識の産物のように聞こえますが、全部まるまる意識ではありません。
無意識的な流れ、土台があって「考えて」います。
そもそも、そのような区別を明確につけることはできませんが、
つねに、移ろっています。
じぶんの周りの世界、心の世界は広いので、すべてを捉えることはできません。
その都度、意識が移ろって、サーチしているわけです。(だから、疲れます)
こうした動きの中で、くりかえし起きる現象が、プラクティスです。
頭の中で、物事をどのように受けとめるか。
咄嗟のことでも、くりかえされることは、その動きをプラクティスしているのとおなじ。
たとえば、こんなことも。
ほんの数秒が待てず、いらいらしてしまうこと、よくありませんか?
知らずにくりかえしプラクティスしているー
ほんの数秒が待てない、というより、
「その数秒が待てないでいらいらと感じる」プラクティスをしているのです。
知らないうちに、です。
もちろん、そんなつもり、毛頭ないですよね?
でも、そのように捉え直すことで、見え方が変わります。
プラクティスとは、気づかずにくりかえされている、じぶんの心身の動き。
端的に言えば、知らずに「考えているクセ」のこと。
よいも悪いもなく、じぶん固有のパターンがある、ということです。
小さな修養の原理 ②(プラクティスだけが唯一の持ちもの)へつづく
出典・参照:以下のエンパレットなど
(*注1)ティモシー・ウィルソン博士の研究 Adaptive Subconsciousに言及したエンパレット。また、エンパレット検索で「無意識」といれてみてください。