Empahemian『Who’s more still?』

菜の花や 月は東に 日は西に(与謝野蕪村)

毎朝、太陽は東の地平線から登ります。
太陽が地球を回っているように見えるのは、生活の実感。

天動説は、地球が中心の宇宙観です。
古代の人はみな、そのように思っていただろう、と勝手な想像をします。(*注1)

英語では、Geocentrism (地球中心観)と言います。
地球を中心にして宇宙の星が動くという見方を表現することばです。

一方、地動説は、Heliocentrism (太陽中心観)と呼ばれます。
太陽を中心にして、地球が動いている、という見方。

「動いているのは太陽ではなくて、地球だ!」
16世紀、コペルニクスやガリレオが命がけで地動説を唱えました。

世界観が180度反転することを「コペルニクス的転回」などと言います。
言わば、ちゃぶ台返しのドラマチックなイメージもありますね。
「地動説が正しく、天動説はまちがっている」という知識が定着しています。

でも、日々の体験としては、宇宙の星々が動いていますよね?
「地球がくるくると自転し、さらに太陽の周りを回っている」という知識の浸透。
そのおかげで、私たちは、実感よりも知識を優先することができます。

松浦壮さんは、こう言います。

「演技するスケート選手にとっては、動いているのは観客の方なのに、動いているのは自分だと判断しています。それは、地面を基準にして、動いているかどうかを判断する無意識に隠れた規則があるからです。」

「運動の基準は(地球上の)地面」という「あたりまえ」の認識を無意識のうちに、受け入れているからだ、というのです。

気づかぬうちに、じぶんの見方ができあがっている、ということ。
もちろん、知識が役に立つことを否定する必要はありません。
でも、知識のおかげで、見えなくなっていることもたくさんあります。
じぶんで見ているつもりでも、実は見ていないのです。

静穏の時を測る

ところで、エンパシームのアプリは、あなたの静穏を映します。
「あ」のエンパシームから、「止まっている」状態を測っています。
姿勢の鏡「静かな場」に表れます。

エンパシームが感じ取っているものは、動きです。
止まっているという、微かな「動き」を捉えています。

あなたのいる、地球上の、家の中。
静かにすわる時にも、微かな揺れがあります。

心を落ち着けるのに必要な静穏状態。(*注2)

人間にとっては止まっているけれど、微かにゆらぐ、その動きを測ります。(*注3)

Try to see it the other way around.(向こう側から見てみよう)

地動説と天動説。
本質は「どちらが正しい答えか?」ではありません。

全体のしくみをどのように見るか。
どこから見るか。
じぶんの見方をつくることです。

見方を変えるのは、簡単ではありません。
でも、見え方が変わるような出来事は、日常の中に満ちあふれています。

たとえば、自転車。
部品が集まってできていますよね。
でも、自転車に乗る体験は「部品の集まり」ではありません。

人間の心は?
人間は、脳や身体の細胞でできています。
でも、物質の集まり=心ではないですね。

心は、働きです。
心は、ことばを生み出し、ことばが心をつくります。

いま見えている世界は、これまでに身につけた見方のひとつ。
見え方が変わるような、状態にじぶんを仕向けると、世界は変わります。

出典・参照:SomniQ, Inc. Utility Patent Stillness Detection、松浦壮『宇宙を動かす』、以下のエンパレットなど

(*注1)ギリシャ時代でもピタゴラス派はちがいました。

(*注2)「止まっている」という状態を促し、測るための発明特許

APPARATUS, SYSTEM, AND METHODS FOR INTERFACING WITH A USER AND/OR EXTERNAL APPARATUS BY STATIONARY STATE DETECTION

(*注3)共感の心は月かげ[エンパシームの中をのぞく]

アメンボで想像のプラクティス②

直球という変化球

静穏の鏡

見方を変える [シャンパンは、栓を抜くのではない]

ニコラウス・コペルニクス