Writing a journal is the only way to find out what to write.(日記は、書くべきことに出会うためにある)
何を書いたらよいか?
何を書くべきか?
これらの質問には、ふたつ、暗黙の前提があります。
ひとつは、「はい、これです」と答えるような回答がどこかにあるはず、という前提。
もうひとつは、「じぶんのことは、自分が知っている」という前提。
どちらも、誤解です。
じぶんのことは、頭で考えれば出てくるかのような、漠然としたイメージがありますね。
でも、それはちがいます。
聞かれた時に、はじめてそれをことばにした時に、出てきたかのように思われるだけです。
「何を書いたらよいですか?」という質問は、「問い」ではありません。
じぶん自身に、何もたずねていないからです。
「わからないから、答えを教えよ」という要求。
それは「問い」ではなく、質問形式の要求です。
大切なこと、それは:
じぶん自身にたずねること。
じぶん自身の心をたずねること。
何を書くか?
じぶんに聞くことばを書きます。
書くべきことは、はじめからあるものでなく、出会うもの。
じぶんで路をつくり、歩いた時に、出会えるもの。
答えを探すというより、問いに出会うことです。
答えというものがどこかに転がっているのではありません。
問いを立てる路を歩くこと、そのものが、こたえを生み出します。
Ask yourself, and you’ll meet your purpose.(じぶんにたずねよ。生きる意味に出会うために)
じぶんに聞かなければ、わかりません。
だれも、答えてはくれません。
たずねることばを出すだけでよいのです。
じぶんが書くべきことに気づくために。
唯一の方法は、じぶん自身に聞くことです。
「何を書くべきか?」ではなく、書くべきことに出会うために、書きます。
日記の真の目的は、質問を書くことです。
じぶんへの問いを、声のあることばで、短く書いてみましょう。
Am I aliright?
What should I do?
Is this my purpose?
じぶんにたずねるって?
本当に、そのように、ことばでたずねることです。
問いを立てるといって、むずかしく考える必要はないのです。
声のあることば、じぶんにたずねるセリフそのものが、問いを立てることばになります。
Ask yourself in Empatheme.(エンパシームでじぶんにたずねてみよう)
エンパシームのメソッド。
みちゆくときよ。
「き」は、聞くこと、じぶんにたずねること。
聞いて、気づくこと。
日記は、じぶんが書くべきことを探す路。
じぶんの希いに出会うところ。
出典・参照:『毎プラガイド』、英プラ トレイル1(30)Ask Yourself