Fun to Imagine.(想像は、たのしい)
週末の朝。
地元の農産物、畜産物の直売市場。
数多くのテントが並び、行き交う人々でにぎわいます。
お店はどれぐらいあるのだろう?
これだけあると、ふと、知りたくなります。
歩きながら、かぞえてみれば、わかるはずです。
ただ、人と話をしながら、かぞえることはできるのでしょうか?
別の言い方をしてみます。
頭で数をかぞえながら、人と話をすることはできますか?
リチャード・ファインマン博士は、学生時代にこんな発見をしました。(*注1)
かぞえながら話はできない。
ただし、同時に文字を読むことはできる。
あれこれとじぶんで実験してみて、たどりついた結論です。
ところが、友人の見解は違いました。
かぞえながら話すことはできる。
ただし、同時に文字を読むことはできない。
彼もまた、じぶんで実験して、確信した結論だと言います。
実は、頭の中でかぞえるという時、ふたりのかぞえ方はちがっていました。
ファインマン博士は、数を耳で聞くようにカウントしていました。
一方、友人は、数を目で見るように、思い浮かべてカウントしていました。
人間の脳は、いろいろなことを同時にこなすことができます。
でも、どうやら、制約があるようです。
こんなふうに言えそうです。
話しながら、それに重ねて、話すことはできない。
読みながら、それに重ねて、読むことはできない。
前者は、聴覚系(運動系)の機能。
後者は、視覚系(知覚系)の機能。
おなじ系統の機能は、同時には使えない。
そのかわり、別系統の機能は、同時に並行して使える。
できないことに気づくことで、自然に備わっている力に気づくことができます。
想像するとは、目に見えないものを思い浮かべること。
手に触れていないもの、かたちのないものに、形を与えること。
私たちは、ことばをつかって想像することができます。
頭の中は、じぶんでも気づかないうちに、想像しています。
ことばを使っていること自体が、想像を生きていることです。
人間は、「自然の想像力」を生きている。
想像しながら生きている。
それは、自然が発揮する想像力を、じぶんの身心で、体現することです。
Fun to Imagine (2) いつも時間を往来している
出典・参照:リチャード・ファインマン『困ります、ファインマン先生』、以下のエンパレットなど
(*注1)Fun to Imagine With Richard Feynman(Youtube動画)
(このエピソードはビデオのいちばん最後の方、1時間ぐらいのところに出てきます。エンパシームアプリからご覧になる時は、エンパレット右上のアイコンを押してウェブページを開いてください)
ファインマン博士は、原子がプルプルと身ぶるいしながら、隣とぶつりかりあう様子をまねるかのように、身ぶり手ぶりを交えて、軽妙に語ります。
絶えず、こみあげてくるかのような笑顔が、「サイエンスは想像」だと語ります。そのことを想像することもまた、想像のたのしみです。