習慣は、小さなプラクティスのしくみ

エンパシームにゆだね、自然な流れをつくるだけで、知識や情報を過剰に取り込むスマホの生活が変わります。
静かにすわり、ひと息の声をだすひと時が、日ごとの糧に変わります。

「み・ち・ゆ・く・と・き・よ」の7文字に表された、小さなルーティン。
ゆだねて、順にたどることで、ふりかえるチカラ、よりそうチカラを活かすことができます。

毎プラルーティンマップ

みちびく
 静穏をみちびき、気持ちをやわらげて、自然にはじめられる

ちかづく
 身のまわりに耳を傾ける「間ま」をつくり、ことばを声にする

ゆだねる
 相手にゆだねるつもりで、身体を動かす

くりかえす
 声ことばを繰り返し、定着させる

とりだす
 じぶんの姿をエンパシームでふりかえる

きいてみる
 じぶん自身にたずね、ことばとじぶんの結びつきを強める

よりそう
 じぶんから他者へのことばとふるまいをわかちあう

習慣は、じぶんを方向づける「しくみ」

じぶんもプラクティスのしくみの一部になる

世の中には数えきれないほど、よい習慣づくりの教本があります。
とてもよいことが書かれています。が、なかなか続きません。なぜでしょうか?

実は、思いや意思だけでは、続かないのです。自然に続くような「しくみ」がだんだんできてくるような、手助けと環境がいります。
習慣は、つくろう、がんばろうという意識でつくるのではなく、小さなプラクティスが毎日つながり、路のようになって続いていく、そのプロセスが習慣になります。
そして、じぶん自身が、小さなプラクティスが続いていくしくみの一部になることです。

実際にプラクティスする環境を提供

何を身につけるせよ、すべての習慣づくりに共通することがあります。
書かれたものを読むだけではなく、実際に身体を動かしてやってみることです。
はじめはやればできることと思っていても、次第に続く力が衰えていきます。
毎プラは、小さなプラクティスの場、道具、方法を集約し、また、人と助けあえる環境を提供します。

間をつくるエンパシーム(動画リンク)

毎日のプラクティスは、ミニマル5分

毎プラは、テクノロジーに満ちあふれた現代生活の中で、あなたのミニマルな、1日5分と身のまわりの環境を活かします。

ミニマルとは、ただ短いという意味ではありません。いちばん肝心なことだけに限る、そこに集中する、という意味です。
プラクティスのエッセンスは、小さなくりかえしと、ふりかえりです。
くりかえす体験と、それをふりかえる実感。そしてそれをわかちあえって自覚できること。

むずかしく考えることは、ひとつもありません。
目的や結果を考えるすぎると自意識が過剰にはたらいて、プラクティスの持続が損なわれます。そうではなく、流れに委ねることです。

エンパシームは、自然な流れで間をつくり、1日の循環にします。それが続いていくように工夫された発明特許です。
あなたの小さなプラクティスが、身近な世界に役立ち、世界をつなぎます。

メソッド「みちゆくときよ」に委ねて

エンパシームアプリをダウンロードし、あなたのアカウントを作成してください。
ガイドにしたがって、ためしてみてください。
気を楽にして、静かにすわると、自然にはじまります。

エンパシームメソッド「みちゆくときよ」

間(ま)をつくるメソッド

何かを身につけようとしても、はじめの一歩を踏み出すのが、なかなか容易ではありません。また、がんばろうという意識だけでは続かず、その結果なかなか、身につきません。

じぶん(自意識)というハードル

プラクティスを身につける最大の壁。実は、それはじぶんの意識です。
私たちはふだん、目的に従い、結果を得る努力をじぶんで判断する習慣を身につけています。
ところが、目的達成が唯一の「正解」だと思っていると、気づかぬうちに理想の結果と現状を比べ、「うまくいかない」とか「思うようにはならない」といった自意識が働きます。
その一方で「続かないといけない」「もっとうまくいかないといけない」という思いも増幅され、目に見えない不安や苛立ちが生まれてきます。

本来、プラクティスとは、じぶんで何度もやってみることです。
そのくりかえしによって、自然に慣れ、身につく状態に「近づいていく」ことです。
あれこれと自己判断することではありません。
でもどうしても、自意識による判断が余計な思いをつくりだし、何もないところにじぶんでハードルをつくってしまうのです。
このような体験から、何かをはじめようとする時も、「うまくいかないかもしれない」という気持ちが先回りして心のどこかに生まれ、はじめることを躊躇してしまうのです。

だれにも、そのような体験があるでしょう。このジレンマをどう乗り越えたらよいでしょうか?
自意識は、思うようにコントロールできる意識でなく、習慣によって身につけたものです。
自意識をなくすのではなく、知らずに身につけている、プラクティスを阻む習慣を克服することです。
つまり、 クセや思い込みをへらすこと。
なにかに置き換えること。

をつくれば、克服できる

ところが、私たちの日常は、自意識を助長して不安や混乱を掻き立てる情報でいっぱいになっています。
それらを気づかぬうちに「入力」し続け、一瞬を待つ間もないような状態。これでは、じぶんから「出力」することがたいへんむずかしくなります。
出力とは、身体をつかってやってみる、ひとつひとつの行為のこと。声に出す、ことばにする、といった、ひとつひとつの身体行為がプラクティスです。

しかし、入力過剰といっても、日常全部を変えようとすることではありません。
日常の中に、小さな間をつくることです。静かに、身体を楽にしてすわると、気持ちが穏やかになり、自然な間が生まれます。
日常の情報入力をいったん止めるには、何もない、空いた状態の間をつくることです。すると、自然に、静穏なじかんの流れができます。

エンパシームは、そのような間をつくり、自然な流れを生み出すしくみです。
その流れにそって、自然な声のリズムで「出力」することばを最大限に生かして、プラクティスを身につける方法がエンパシームメソッドです。
静穏な空気と声の力は、自意識を和らげ、出力を手助けしてくれます。
たとえば、英語を身につけるプラクティスで、いちばんはじめに大切なことは、気を楽にして、静穏の間をつくり、身につけるべき声のリズムをじぶんで出力することです。

エンパシームがあなたの「しくみ」をつくる

プラクティスの秘訣

プラクティスを「手入れする」

プラクティスが続かないのは、空気抵抗や摩擦に似ています。
ふだんは、それを無視していますが、何かを続けようとしている間に抵抗が生まれ、何かを思ったり、しようとするだけで、心に摩擦が起きます。
これは仕方がないことなのです。が、放っておくと、続ける力は必ず衰えます。

私たちはふだん、「やればできるはず」「続ければいいでしょ」と思いがちですが、それだけでは、摩擦や抵抗を無視して、また補助や補給を考えないのに似ています。
歩いたり、体を動かすときは、水を補給しますね。行動には、補給がいります。
何かを考えるときも、紙に図を書いたりしますね。考えるには、補助がいります。
プラクティスもおなじです。何の補助、補給なしに、長続きはしません。どこかでかならず動けなくなってしまいます。自然の理なのです。

どうしたらよいでしょうか?
小さな手入れを、実際にすることです。プラクティスそのものを手入れすることなのです。そして、それが同時に「プラクティス」になります。

ほどよい補給と補助が不可欠

いちばんの補給は、他者のはげましです。
後ろから、端からそっと見ていてくれるだけでよいのです。
また、いちばんの、力になるのは、ひとことの声ことばです。
声にすることばは、何度でもくりかえし、ふりかえることができるからです。
そして、声そのものの力があります。それは一瞬のうちに身体の内外で響き、脳の中のニューロンのつながりを強くしてくれます。
だから、じぶんから相手にむかって声をかけることもも、じぶんへのエネルギー補給になるのです。

補助となる道具や方法、環境の助け。
エンパシームは伴走者になり、鏡になり、環境になり、小さなプラクティスのしくみを支えます。
習慣は、小さなプラクティスのしくみなのです。毎日の循環と、導いてくれる路。そしてその路を歩いた時に、ふりかえることのできる路。
心身の体験、それをふりかえり、実感して、他者のむすびつきになることで自覚にかわります。そのときに、知らないうちに、習慣ができているのです。

じぶんのチカラでなく、相手のチカラ

いちばん大きな抵抗、頻度の高い摩擦は、自意識です。
でも、自意識はなくなりません。悪いことでもなく、じぶんという存在、心の働きなのですから、
じぶんではどうしようもありません。そして、自分の望み・自分の目的・自分の損得というふうに、自分が中心になるようにできています。

何か特別なことをするのではなく、自分中心を減らすだけ、働きを和らげるだけで、何かを持続する大きな力になります。
ただし、自意識を和らげてくるのは、じぶんではありません。

それは、「相手」の力です。相手に委ねることです。
身のまわりのもの、相手になってくれる力を借りるのです。身近なまわりのものに、心を向ける時、それが相手になります。
じぶん自身の声やふるまいもまた、じぶんの相手になります。

そのように想像すれば、よいのです。
そのつもりになる、そういう雰囲気をつくることです。
相手と思ってみる間を、ひとつ、つくることです。
あとは、その小さな手入れが自然につながるように、補助を得て、補給をえて、毎日をあゆむことです。

「あゐてにふすいま」とは?

「あゐてにふすいま」という8つのエンパシームの流れで、ひとつ、間をつくることができれば、それをつなげていくことで、おのずと、それがしくみになっていきます。(自然界では、自己組織化といいますが、その力を借りるのです。)

「あゐてにふすいま」は、「相手にす今」というひとつのことばでもあります。

「相手に付す、今」とは、相手にゆだねる、いま、この時、という意味です。

1日1回、ほんのひととき、このことばそのものを取り出して、やってみると、必ず身につきます。
ほんの少しでも、その気分になれればよいのです。
「相手に付す今」ということばを発するのに、2秒とかかりません。それは、1日の 0.002%という、一瞬の時間です。

ひと息で言えることばひとつ。
その一瞬の中に、プラクティスを持続し、あらゆる習慣づくりに共通のエッセンスを取り出すことができます。

あなたひとりではありません。だれもが、みな、おなじです。
「じぶんは、いつも相手と共にある」ということ。それは、人間に備わった力です。
ミニマルな(小さくかみ砕いて、それだけに集中する時の)力、時間と場。そこに、プラクティスを身につける秘密があるのです。

小さな間から「みちゆくときよ」へ

エンパシームメソッドは、まず、自然な流れで「あゐてにふすいま」という、小さな間(エンパシーム)をつくります。
そして、エンパシームをくりかえし、ふりかえり、わかちあうことのできる循環「みちゆくときよ」をつくります。
それがその人にとっての習慣となる一方、さらに、ひとりひとりのエンパシームの循環が、つながりあうことによって、関わる人たちの間で助けあい、わかちあう路になるのです。
つながり、広がる路を想像してみてください。それが私たちのエンパシームがつなぐ世界。

途切れない「手入れ」

時には、ひとつも間をつくれず、出力が0の日もあるでしょう。
いちばん大切なことは、それでも気持ちが途切れないことです。
0の日が続かないように「手入れ」をすることです。

エンパグラフが鏡のように写す

エンパグラフがその手伝いをします。
エンパグラフは、じぶんで出力したシードの再現に添えて、プラクティスするじぶんの、身のまわりの状態、ふるまいの様子を、目安として緑のバーで表現します。

・やわらぎ(静かさ・穏やかさ)
・ゆるやか(間をつくるゆとり)
・つらなり(ひと時の、なりきる時間)
・くりかえし(毎日の持続)

鏡は、じぶんでじぶんをみるための手助けです。採点や評価ではありません。
エンパグラフは、じぶんで何かに気づくための鏡です。

じぶんのシード(タネ)を育てる

プラクティスの過程が、植物を育てる「手入れ」になぞらえて演出されます。
シードはタネのアイコン。その中身を、セリフを出力した時の息の音つぶの長さで表現します。
シードひとつひとつの説明は、💧や🌱のアイコン表示。
じぶんのシードをふりかえる時には、葉っぱで印をつけることもできます。
毎日、水をあげ、声をかけ、育つのをみまもる植物を相手にするように、自然で構えない姿勢で接する時、自意識はやわらいでいます。

プラクティスのない日は、土の線だけで表されます。
水をあげない日が続くと、若い植物はしおれてしまいますね。
緑のバー「くりかえし」も減っています。じぶんのがんばりを気にかけるのではなく、シードを大切にしてみてください。

自然の力で続く

エンパシームの流れにそったプラクティスで、静穏の空気、声の響き、反復運動が生まれます。
これらはみな、じぶんががんばってつくりだすものではなく、自然のなりゆきで生じる力です。
さらに、エンパシームの中におさめたシードを毎日ふりかえることによって、自分中心の意識ではなく、ひとつひとつのシードを相手に、小さな変化をみまもり、育てているような想像が働きます。シードが育つように思えることが持続を支えるのです。

わかちあう力

共感の力で和らげる

英プラは、エンパシームを使って英語のプラクティスをみんなで支えあう場です。
一緒にプラクティスしたい仲間と「わかちあう」をお申し込みいただくと、エンパグラフの「つながり」で、じぶんが寄り添う相手のシードが見えるようになります。
何か特別なことをするのではなく、プラクティスを共にしている人の存在を感じることです。
ほどよい距離感で寄りそうところに、ふだんは気づいていない、共感の力が働きます。

人から何かを得ることではなく、じぶんから、友に対してほんのわずかな時間を使うこと、ひと声かけることです。
そうすることで、ふと自然に湧いてくる、ささやか思いが、「やらなきゃいけない」といった自意識をやわらげ、プラクティスの途切れからまもってくれます。
じぶんからわかちあおうとすることが、じぶん自身を助けてくれるのです。

シードごとに、わかちあえるしくみ

プラクティス「よりそう」では、じぶんでつくったシードを相手と共有することができます。
また、そのシードをめぐって、ことばを交わすことができます。
これは、SNSのチャットとは意味がまったく異なります。
共に歩む相手と、お互いのプラクティスから生まれたシードに、そっと寄り添いあう行為。
そして、そこでひらめくことばをかけること。
些細なことのように思えるかもしれませんが、このようにシードをふりかえって、相手とふれあうということは、セリフを心の中で再現し、じぶんとことばの結びつきを強めるプラクティスなのです。

トレイル体験をわかちあう

毎プラも、英プラも、トレイルを一緒に歩む人たちとも、じぶんから関わり、体験をことばでわかちあうことができます。
参加者がトレイルを一緒に歩む、プラクティスのコミュニティになります。
学校や職場などのグループで、プラクティスする人を、みちびく人、世話する人たちが、いっしょになって助けになり、支援する場が生まれます。

エンパシームを社会に活かす

エンパシームで世界をつなげよう

エンパシームは、共通の形式・単位で、人それぞれのプラクティスを表現し、記録し、そして共有できるメディアです。
同時に、プラクティスする人の毎日の学習過程を捉えた、共通形式のデータです。
これを、日々の修養や、みまもり、学習に役立て、上達、持続につなげていくことができます。
高いお金をかけないでも、誰もが英語と、日々のプラクティスを身につけられることは、これまでになかった大きな社会貢献になります。

ひとりひとりの「毎日のプラクティスを身につける」という大切な営みを「証」にします。
テストの点ではなく、日々の実践習慣こそ宝です。
個人を支援し、集団・コミュニティを発展させるための貴重な情報を、エンパシームから取り出すことができます。
今後、事例を掲載していきます。個人の方はもちろん、学校、企業、研究機関、地域社会などの団体・グループ参加をお待ちしています。また、ぜひ、お問い合わせください。

出典・参照:エンパシームサイト

2020年4月、エンパシームサイト改訂時に掲載の文章をエンパレット化したものです。