All things come to those who wait.(すべては、待つ人に訪れる)
鷲田清一さんは、こう言います。
「待たなくてよい社会になった。待つことができない社会になった。」
「誰もが自分の得を追求して前のめりになり、待つことを拒む姿勢になっている」社会だというのです。
待つゆとりがない。余裕がない、辛抱できない、寛容でない、心が狭い。
古語の「待つ」ということばの意味は、「ある状態になること、その時の来るのを期待すること」でした。
「松」や「祭り」も、神聖なものの現れを待つことと関係したことばだと言われます。
「待つ」という動詞。
英語の待つは、waitのほかに、expectということばがあります。
スペイン語 esperarは「待つ、期待する」
フランス語 attendreも「待つ、期待する」
現代日本語の「待つ」から、期待やねがいはなくなってしまったのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
・ 芽が出るのを待つ。
・ 花が咲くのを待つ。
・ 実がなるのを待つ。
・ 月が出るのを待つ。
・ 雨が止むのを待つ。
・ 夜が明けるのを待つ。
・ 春を待つ。
待つことは、期待すること。
ふだんの生活で、しぜんにふるまっています。
・ 縁がつながるのを待つ。
・ 運が巡って来るのを待つ。
・ 機が熟すのを待つ。
・ 朗報を待つ。
・ 薬が効くのを待つ。
・ 肉が焼きあがるのを待つ。
待つ時間が短くなってくるとどうでしょうか?
・ 相手の返事を待つ。
・ 受付で順番を待つ。
・ 次の電車を待つ。
・ 信号が変わるのを待つ。
だんだん、辛抱が必要になってきますね。
長い時間は待てるけれど、短い時間は待てない?
考えてみれば変です。
こんな体験ありませんか?
・ 受付が遅くて、イライラ。
・ 前の車がノロくて、ガマンできない。
・ アプリがトロくて待ってられない。
どうやら、私たちは、短い時間、それもわずかなひと時、ほんの一瞬を待つのが苦手なようです。
待つとは、相手を受け入れることです。
相手が自然の場合は、待つよりほかはありません。
心が受け入れているので、待てる。
相手が主になると、待てます。
じぶんが主になると、待てなくなります。
自意識が入ると、待ちづらくなります。
時間を損した、と思ってしまうからです。
心が落ちつける、一瞬の間を待つ。
「待つプラクティス」とは?
ガマンすることではありません。
「ガマンする=損している」と感じてしまうことが問題なのですから。
その気持ちを別のものに切り替える(unlearn)ことです。
Slow down.(スピードを落として)
「待つ=ゆっくり進むこと」です。
メルロ=ポンティは、こう言います。
「聴くことは、待つことである。聴くことのむずかしさ。聴くということがだれかの言葉を受けとめることであるとするならば、聴くというのは待つことである。」
待つことは、相手の声を聴くこと。
自然や天候を待てるのは、自然という相手の声を、すでに聞き入れているから。
じつは、私たちは話す時、同時にじぶんの声を聞いています。
いちばん、身近な「待つプラクティス」は、ゆっくり声に出して言うことです。
静かにすわって、ひとこと言って、聴くこと。何秒もかからないプラクティスです。
出典・参照:鷲田清一『待つということ』、モーリス・メルロ=ポンティ『待機性』、白川静『字訓』