Learn to practice. Practice to learn.(プラクティスを学ぶ。プラクティスで身につける)
スポーツ、楽器の演奏、職人の技。
学んで身につけるために、必要なことは?
説明はいりませんね。
何度もくりかえしくりかえし、身体で覚えることです。
学習とは、学んで習うことです。
学ぶとは、まず手本をまねて、くりかえすこと。
うまくいかないことを、何度もやっていくプロセスです。
そのくりかえしの回数が土台になります。
その上で、くりかえすだけではなく、ふりかえること。
ふりかえり、たしかめることは、必須の条件です。
学ぶとは、じぶんが変化していくことを、たしかめることだからです。
そして、つづけていくうちに、じぶんの方法をつくっていくことです。
ひるがえって、学校の勉強はどうでしょうか?
勉強は「頭を使うもので、身体は使わない」のでしょうか?
勉強というと、黙って教科書を読み、ノートに文字を書くこと?
文字による知識の習得が、勉強?
そんなイメージが強いですね。
でも、勉強も学習、練習の一部です。
また、頭(脳)も、身体の一部です。
どうやら、私たちは「勉強」とか「学習」ということばを聞くと、ついつい、読んで文字を覚えることばかりを思い浮かべてしまいます。
そして、本来、学びは、身体を使ったプラクティスであることを、すっかり忘れているのです。
外山滋比古さんは、こう言います。
「トリは生まれた直後から、生きていくために不可欠なことを学ぶ。教えるのは親ドリで、これをインプリンティング(すりこみ)という。ヒナは親ドリのそばで、おなじことをくりかえしくりかえし、してみる。それが刷り込みだ。やがて、たとえば、飛ぶことができるようになる。しかし、これは飛び方を頭で記憶したのではない。何度もくりかえし、まねているうちに、体得するのである。これは忘れない。一生、おぼえている。コンピュータ式は大脳による学習であり、トリ式は小脳の作用によるものである。」
ただし、頭も、身体の一部です。
「頭で記憶しない」という意味は、「身体をいっしょに使って」という意味です。
体得もまた、脳を使わずに、という意味ではありません。
身体を使うことで、脳の使い方、鍛え方がちがうということです。
現に私たちは、ヒナドリのようにして、ことば(母語)を身につけてきました。
身体で覚えているから、忘れません。
何も考えずに、話せます。
勉強して覚えたから、話せるのではありませんね。
身体運動としてことばをアウトプットして定着させたのです。
身体のプラクティスです。
目で文字を読むこと以前のこと。
身体を使ってとは?
・手で覚える(身振り、手振り、道具を使う)
・声で覚える(声に出す)
・耳で覚える(たずね、聞く)
肝心な学び方が、黙って文字を読むことだけに偏ってしまっているのです。
小脳をしっかり使い、鍛えずに、学ぼうとしている、ということです。
「身体を使って」には、よく眠ることも、大切な学びの一部です。
Practice Every Day.(毎日が、プラクティス)
出典・参照:『英プラガイド』、外山滋比古『ちょっとした勉強のコツ』