It will never rain roses: when we want to have more roses, we must plant more trees.
(バラが空から降ってくることはない。もっとバラがほしければ、もっと木を植えること。)
It is never too late to be what you might have been.
(なれたかもしれないじぶんに、今からなるのにおそすぎるということはない。)
ジョージ・エリオットのことばから。
とつぜん、花は咲きません。手入れをして、見守ること。
土と光と水と空気、そして昆虫。
わたしたちは、周りの手入れを少しして、見守るだけでよいのです。
英語に、deedということばがあります。
「おこない」という意味です。
語源は、do (する)。
したこと、おこなったこと。
「行為」や「おこない」といった名詞にすると、ことばは、抽象化されます。
実際にやってもやらなくても、「おこない」といえば、「すること」を意味します。
でも、deedは、身を持って体験することです。
a good deedといえば、よいおこないのこと。
本当にした時に、deedになります。
deedは、プラクティスということばと共にあることば。
・やろうと思っていたけれど、やらないままの「おこない」は、deedではありません。
・やればできるはずなのに、なかなかできない「おこない」も、deedではありません。
・何かを特別なことをすることではなく、ささやかな、ほんのわずかの所作でよいのです。
・毎日、ひとつ、やってみることがdeedです。
ほんのわずかな身体所作の、deedはできます。
飾る必要も、構える必要もありません。
ほんのわずかのじかん、静かに、体の力をぬいて、心を落ち着けること。
今日のプラクティスひとつが、ひとつのdeedです。
ひと息の声でことばにして、じぶんをふりかえること。
Deedには、証という意味があります。
たしかめる、という意味です。
和語の「たしかめる」は、「手でしっかりと=たしか」から来ています。
声のあることば(seed)を、じぶんにまいて、育てること。
それがdeedになります。
修養とは、毎日、ひとつdeedをつくることです。
エンパシームのつながりを、一本つくることです。
あとからふりかえって自覚することで、おこないは、しっかりと定着します。
One deed a day. (毎日、deed ひとつ)
じぶんを育てることば、声にだしてふりかえることばが、seed。
そのseedをつくる日課がdeedです。
出典・参照:George Elliot Review Online、「英プラガイド」