Empathemian『When I realize..』


ふだん、いちばん「あたりまえ」になっているものは何でしょうか?

それは、じぶんの存在です。

だから、「じぶん中心」に気がつきにくいのです。
気づくためには、じぶんとあいたいする「相手」がいります。

むきあう相手、ふれあう相手、ともにある相手。
人だけでなく、生きものでも、身のまわりにあるもの。
花、鳥、風、月、どんなものでも、相手になります。

じぶん自身の心が、そのものの相手になるのです。

相手の存在は、かがみです。鏡に、じぶんの姿が映ります。

鏡なしにじぶんをみることはできません。

 

「ありがとう」と声にだす瞬間
「じバリアをはずす」とは、「あたりまえ」をやわらげることです。
「あたりまえ」の相手は「ありがたい」です。

ありがとう、ということばは「あたりまえでない」ということに気づいた、という意味です。

「ありがたい」ということを、声にしてじぶんも相手といっしょに聞くことです。
それは、じバリアをはずす瞬間です。
 
だれもいないのに、ありがとうなんて言わないよ、と思いますか?

でも、だれもいないのなら、はずかしいこともありません。

感謝するとは、相手の存在のおかげで、ありがたさに気づけたことを確認することです。

声に出さずに、じぶんでそのことばを聞くことはできません。
そっと小さな声でよいのです。

 

じバリアをく基本原理は『あいいま
むずかしいことは、ひとつもありません。
相手とむきあい、ふれあっている、と思うこと。それを声に出してたしかめること。
 
「相手にふすいま」とは、相手にゆだねる、この瞬間という意味です。
自然の流れにゆだねて、あたりまえではないことを確かめた、という確認をするのです。
 
エンパシームが、じぶんの相手になります。
じぶんが、エンパシームの相手になります。
 
エンパシームメソッドは、相手とともに、ひと呼吸分のをつくります。

それは、静かにすわり、エンパシームにむきあう場、ふれあう時だけ、です。

じバリアがはずれる時。それは、頭で考えている時ではありません。

じぶんをかざらず、かまえず、考えずにできる、小さな身体行為。

その時だけです。

どれぐらい小さいかというと、ひと息の時間です。
呼吸をひとつする時間が、人間の小さな身体行為の基本だからです。
 
一瞬、待つとか、一瞬、ひらめいた、とかいいますね。
おいしい、たのしい、うれしい、あたたかい、よかった。
ものごとが、しぜんに感じられる瞬間の長さは、ひと息単位です。
 
それは、数秒間のできごと。

エンパシームは、その数秒間ごとの身体動作を捉えて、うつしだす相手です。

エンパシームを相手に、じぶん自身のふるまいをうつすのです。
それを、くりかえし、後からふりかえって、たどれるようにします。

私たちの日常にも、ふと気づくことはありますね。
でも、それは消え去ってしまいます。あとでたしかめることこそ、大切なのです。

 

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出典:『毎プラガイド』