じバリア ① 「しようと思っていることができない」の裏側には、もうひとつ、隠れたバリアがあります。
それは、「しないでいいこと」をやっているじぶん自身に、ふだん、気がつかないままでいることです。
じバリア ②「やらない方がいいこと」をしている。
何かをはじめても、どこかで続かなくなる「現場」を想像してみましょう。
「しようと思っていたことを、しなくなる」時、いったい、何が起きているのでしょうか?
● 他のことで、時間を埋めている
● 他のことで、場所を埋めている
● 他のことに、身体を動かしている
● そのことに、気がつかない
あたりまえのように聞こえるかもしれません。
でも、やらないほうがよいことによって、やろうと決めたことが追い出されてしまう現象が、かならず起きています。
じバリアは、①②が表裏一体のセットになっているのです。
なぜ、ふだん、気がつかないのでしょうか?
それは、私たちが、日常のものごとのほとんどを「あたりまえ」に受けとめているからです。
ふだん、水も、空気も、太陽の光も、あたりまえすぎて、何も特別には思いませんね。
じぶんの身体が自由に動くことも、その身体を動かして時間を使っていることも、考えることはありません。
考えないことに慣れているからです。
私たちの心は「損」することに、とても敏感だといいました。
何も失っていないのに、得をしないだけで、損だと感じることさえ、あります。
思いあたることがありますか?
何でも手に入れること、じぶんが得をすることが、あたりまえの心になっているからです。
気づかぬうちに、私たちは「あたりまえに」に慣れすぎているのです。
自意識がいけないのではありません。
また、いちいちすべてのものごとを気にかけて暮らすことはできません。
生きて暮らすことは、気づかぬ「あたりまえ」を生み出すことなのです。
気づきのバランス
損得の目的だけがじぶんの心の中心にあると、じぶん自身の姿勢やふるまいに気づかなくなります。
「あたりまえ」になれすぎて、気づくためのバランスがないからです。
それならば、すべきことの優先順位をつければ、解決するのでは?
そのように考えるかもしれませんね。
たしかに、優先順位をつけることで、効率的なやりくりはできるかもしれません。
でも、「あたりまえ」になれている状態、つまり、気づきにくい状態は変わらないままです。
では、どうしたら「何でもあたりまえ」に受け取らないようになれるのでしょう?
雨が降れば、「晴れ」に気づきます。
病気になれば、「健康」に気づきます。
相対すること(反対のこと)を想像すれば、「あたりまえではないこと」に気づきます。
ものごとに気づくことに、少しもむずかしいことはありません。
そのように感じられるための、プラクティスをしていないだけなのです。
私たちは、じぶんの存在の「あたりまえ」に慣れすぎています。
「あたりまえ」が定着すると「無関心」になってしまいます。
「じバリアをはずす」とは、「あたりまえ」に思っている気持ちをやわらげる瞬間をつくることです。
日常のすべてを変えようとすることではありません。(できません)
「あたりまえ」をすべてなくすことではありません。(なくなりません)
でも、損得中心のじぶん自身の心に、気づくチャンスはいくらでもあります。
ほんの、ひと呼吸の間をつくることで、できるのです。
じぶんから、小さなプラクティスに関わることです。
出典:『修養トレイルガイド』