Empathemian, Villa Montalvo Trail, California

Knowing is one thing. Doing is another.(知識は行動ではない)

学校は「教育」の場です。
先生が、生徒に教えるところ、
学生を育てるところ。

何を教えてもらうかといえば、物事についての知識です。
やり方や名前、道具の使い方などです。

現代社会は、便利に、色々な知識を入手できます。
Google検索、Wikipedia、ChatGPT。
いつでも、膨大な情報や知識をアクセスできます。

それらの知識を使うと、どんな行動ができるでしょうか。
行動の知識もあります。
ただ、どこまでいっても、それは、ひとつひとつの知識です。

ギルバート・ライルは、そのことをこう説きました。

“knowing how”と”knowing that”。
”knowing that”とは、知っていること。
入手できる知識です。

一方、”knowing how”は、知識をじぶんで使えること、
知識を活かして行動できることです。

”knowing how”とは、じぶんで学ぶこと。
だれかに習ったことを実践(プラクティス)して身につけます。

”knowing that” すなわち知識の入力にはキリがありません。
いくら入力しても、身をもってしていないことは、”knowing that”のままです。

”know how” すなわち行動の「出力」は、簡単ではありません。
得た知識と関わる必要があります。
物事とじぶんの行動を結びつけることです。

Practice what you learn.(習ったことを実践せよ)

じぶんの身につけるふるまいとは?
そのつもりになること。
まず、ことばを声に出して、身体の外に出力することです。

そうすることで、つながりができます。
それだけで、じぶんと身の周りの世界に、ひとつ、つながりができます。

従来、英語のEducationは「教育」と訳されてきました。
教え、育むというとは、その立場の人のことばです。

educateの語源、ラテン語のeducareは、養う、育てる、という意味がありました。
中から引き出すことです。

There’s a difference between knowing the path and walking the path.

道を知っていることと、その道を歩くことは、おなじではない。

そもそも、知識は「もの」ではありません。
知識は伝えられる「もの」ではないのです。

たしかに、知識を授けるとか、知識を獲得するとか、
あたかも、やりとりできる「もの」のように、私たちは捉えています。

でも、本質はちがいます。
知識は、そうしたやりとりを通して、じぶんの中に起こる「こと」です。
心の現象であり、行動のプロセスです。

知識をいくら入手しても、使えなければ知識でありません。
それは”knowing that”(そういう知識があることを知っただけ)です。

“knowing that”を”knowing how”に変えるのは?
じぶんから関わって身につけること。
そうです、プラクティスです。

出典・参照:ギルバート・ライル『心の概念』、『英プラ』 (37) Know yourself. 以下のエンパレットなど

「Knowing is one thing, doing is another.」

「心はどこにあるの?」

「「だいじょうぶ」と「ありがとう」(知行合一のプラクティス)」

「百聞は一見にしかず、 百見は一聞にしかず」

「ギルバート・ライル」