Empathemian, Møns Klint, Denmark

Like a boy playing on the seashore.
(海辺であそぶ少年のように、生きた。)

死の直前に語ったと伝えられる、ニュートンのことばです。
「世間は何て言うか知らないけれど、私は海辺で遊ぶ少年みたいなものだった。ちょっとなめらかな小石があったり、きれいな貝殻があったりすると、それで夢中になっている。真理の大海が手つかずのまま、目の前にあるということも忘れたままで」

数年前、錬金術に晩年のすべてを投入し、膨大な研究を残したニュートンの手稿が公開されました。
近代科学の父・ニュートンは、デカルトとともに合理 客観主義の源流とも言われます。だから、どこか怪しげで魔術的という、偏見のレッテルを貼られた錬金術に、あのニュートンが生涯の探究を試みたことは、どこかタブー的な扱いを受け、裏舞台の話に扱われてきたように思われます。

水銀による実験工房で、ニュートン自身も鉱毒の影響を受けていたことが知られるからです。でも、生命のふるまい、遷移し循環する自然の原理の探求に、なんら、わけへだてはなく、ただただ夢中だったのではないでしょうか。

ニュートンには、夢中になるあまり、ゆでたまご型の懐中時計を、ゆでてしまったという逸話が残っています。

それぐらい、夢中、いえ、無心になるには?

こどものころ、私たちはみな、あそびに夢中だったと思います。
それが失われてしまったとしたら、なぜでしょうか?

夢中になるプラクティス。

小石や貝殻をひろうこと。

身の周りのふしぎに近づいて、手でふれること。

ふしぎを、声に出して、おどろくこと。

参照:Wikipedia 「Isaac Newton」