Empathemian, 『Who’s directing your dream?』

Who is directing your dream? (じぶんの夢の脚本家はだれ?)

夢の登場人物。
夢のセリフ。
夢の舞台演出。

だれが脚本を書いているのでしょうか?

セリフは、即興技です。
どう考えても、じぶんしか関与しているはずはないですよね。

脳が勝手に話をつくっているのでしょうか。
脳はひとりでシミレーションをしているようです。

夢に浸りながら、その尻尾をつかむような、場面にでくわさないでしょうか?
どうやら、そのヒントは「まどろみ」にあるようです。

明け方に見る夢です。

それも、目を覚ます少し前の夢。

微睡まどろむ時。
語りが増えます。
それも、じぶんに向けて言っているようなかんじ。

じぶんのセリフは、じぶんだとしても、
相手のセリフをつくっているのも、じぶん。

ということは、ふだん、無意識的に相手のセリフを予想するのとおなじ構造なのでは?
「夢を見る」という行為。暗闇に横たわり、眠ることで、セリフづくりを行う行為、ともいえそうです。

Empathemian, 『Who’s directing your dream?』

It’s your inner speech that’s drives your dream. (じぶんのインナースピーチが夢を進行させる)

夢はインナースピーチ現象の一部なのでは?
インナースピーチは、脳で即座に再現できるセリフです。
自動的、無意識的に、内語の実演がされる舞台。

大森荘蔵さんによれば、私たちは起きているときも、とにかく「虚相」が働いていると言います。
虚相とは、実際にないものを想像すること。
シミュレーション、シンボルづくり。

寝ているときは、それが鮮明になります。
誰かの口を借り、その人のセリフを通して、じぶんの脳がしゃべるわけです。

なぜ?
つまり、ことばにしないと、そういう感情の場面進行ができないからなのでしょう。

相手のセリフを考えているのはじぶんだ、という言い方もできますが、
むしろ、考えるということ自体、たとえば、夢の中でだれがじぶんにむかってことばを発することなのかもしれません。

そういう様式がある。
それは特別なことではなくて、ふだん(起きている時の)の応用、あるいは流用です。

数学者なら、虚数世界で遊ぶこともできるのですから、おなじことだと思えば不思議はありません。
慣れてくると、夢の脚本家のじぶんに出会えますよ。

出典・参照:以下のエンパレットなど

夢の話が不思議というより、不思議に思わないから夢。

セリフが夢をつくっている [いつでもHalloween]

心の地図を歩いている(4)[勇気のとびら]

やさしく、つつむ。

夢と共感 [明恵上人]

わけへだてはいらない[心は自由]

眠りはいのち③ 夢は創作ノート

未知に出会うには?