
Sad because we cry. (泣くから悲しい)
心理学者・哲学者のウィリアム・ジェームズは、こう考えました。
「悲しいから泣き、怒るからなぐり、恐ろしいから震えるのではない。その反対である」と。 常識を覆す発言としても知られます。
泣くから、悲しい。
震えるから、こわい。
笑うから、うれしい。
これは、たんなるレトリックではありません。
実際、身体は、考えるより先に反応しています。
私たちは、「悲しい」と意識してから泣いていると思っています。
が、実は順序がちがうのです。
声がつまる。涙が出る。胸が重くなる。
その身体の変化を「悲しい」と呼ぶのです。
Afraid because we tremble.(ふるえるから怖い)
身体心理学・春木豊さんは、こう語ります。
「動きと心の因果関係は、常識的には、「はじめに思い、次にそれを行動に移す」と考えられている。この考え方は非常に強固である。一方、思う前に動いているという事実は、日常体験からも常識であろう。
動きや体や心の間には、相互に因果関係があると考えられる。心が行為(動き)に影響し、逆に行為が心(気分、情動)に影響し、また、体が動きに影響し、動きが体(生理)に影響するという関係がある。」
つまり、心が先にあって、身体があとから動くのではありません。
環境の中で、身体が動く。
その動きが、気分を生む。
気分が変わると、動きも変わる。
身体の状態が、ふるまいに現れる。
ふるまいが、身体の状態を変える。
その変化の中で、心が立ち上がる。
心、身体、動きは、ひとつながりの働きです。
思う前に、もう動いている。
動いているうちに、心が生まれてくる。
ここに、ゼロ人称のじぶんがいます。
私たちはつい、心は「頭の中」にあるものだと思っています。
心は、脳の働きによるものです。でも、脳は頭の中だけで完結しているわけではありません。
脳は、神経を通して身体全体とつながっています。
身体は、環境の中で息をし、動き、感じています。
神経生理学者アントニオ・ダマシオは、理性や判断にも、身体感覚が深く関わっていることを示しました。
デカルトの有名なことばに、「われ思う、ゆえに、われあり」があります。
でも、それ以前に、「われあり、ゆえに、われ思う。」である、と。
身体が感じているから、思うことができる。
理性は、感性と一体です。
ジェームズは、こう言います。
Act as if what you do makes a difference.It does. (そのつもりになってやると、本当にそうなる)
順番を逆さまにして言ってみましょう。
静かにすると、やわらいでくる。
にこやかにすると、うれしくなる。
声に出すと、たしかになる。
ゼロ人称のことばです。
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出典・参照:春木豊『動きが心をつくる』、William James 「The Varieties of the Religious Experience』
アントニオ・ダマシオ『無意識の脳、自己意識の脳』『デカルトの誤り』、以下のエンパレットなど
アントニオ・ダマシオ 意識の理解はどこまで進んだか(TED動画)
