作法そのものが学習である[すべてに共通するエッセンス]

エンパシームは、共感的想像力の発揮を作法に変え、日々のプラクティスにします。『正法眼蔵』の体現です。道元禅師は、作法を身につけることが安らかに生きることだと説きます。学習もおなじです。例えば、じぶんを知るとは、じぶんを知ろうとする行為そのもののこと。じぶんを忘れて周囲とふれあうことです。自己の修養とは、共感の作法です。

What matters most?(いちばん本質的ことは?)