Iteration, reflection, connection. That’s life.(くりかえし、ふりかえり、つなぎあわせる。それが生きること)
スチュアート・ダイベックさんの短編小説『Paper Lantern』にこんなセリフがあります。(*注1)
「急に、気がついたの。人生の瞬間は、その瞬間を生きていたという実感をする前に、刻々と消えていくのだということを。一生持ち続けられる瞬間は、ほんのひとにぎり。そのひとにぎりの数の瞬間が、人生。あるいは、人生と呼んでいるのは、点と点の間をつなぐ線のこと。点の間を結んで、じぶんの想像世界をつなぎとめること。」
点のひとつひとつは、思い出の出来事でしょうか?
思い出はたくさんある、と思っていても、思い出すことのできない点は?
私たちは漠然と、出来事の思い出が記憶に貯蔵されている、というイメージを持っています。
でも、それらは脳に文字や映像で記録されているのではなく、思い出すたびに、創造されるものです。
思い出すという行為が「過去」をつくります。
出来事のイメージを、その都度、つくり出します。
「未来」もまた、おなじようにして、創造されます。
ふだん、思い出すという時、出来事全体をひっくるめて、ラベルをつけます。
・あの時、楽しかったなぁ。
・あの頃は、たいへんだったなあ。
・あの味は、実にうまかった。
それらは、点というより、点があったところをぼんやりなぞっているかんじです。
肝心の瞬間があったはずです。
瞬間の点に、アクセスできないのでしょうか?
瞬間は、刻々と消えてしまうもの。
ピンポイントに、その点を代表するものは何でしょうか?
それは、ひとことのセリフです。
セリフとは、2秒ほどの短い時間に発する、完結したことば。
声のあることばです。
Life is made of your self-quote connection.(人生は、じぶんでつくるセリフのつながりでできている)
思い出す、思い浮かべる、という時、情景のイメージを考えますね。
それが点として存在するためには、後からことばでふりかえり、なぞる必要があります。
それは、ひと息のことばを出して、いまのじぶんとつなげることです。
人生の点と呼べるものは、セリフです。
それは、一瞬のうちに、じぶんの心の働き(動詞)をうつし出す、ミニマルな単位。
一生持ち続けられるのは、ことばにしたものだけ。
声のことばとして発する行為が、点と点をつなぎます。
心の中で発するセリフも、また、声のあることばです。
ことばにならない体験があるじゃないか。
ことばでは表現できないことばかりではないか。
そのとおりです。
でもそれは、ことばにできることがあるから、そのように言えるのです。
ことばを大切にする時にだけ、やってきます。
・ことばで表現できないことの切実さ。
・ことばで表現できることのありがたさ。
瞬間に起きる点は、ひと息のことば。
それをつなぐ線もまた、ひと息のことば。
点と点をつなげようとする心が、生きている証。
なお、この話は「プラクティス論」と深く関わりがあります。次のエンパレットにて。
出典・参照:Stuart Dybek『Paper Lantern』、以下のエンパレットなど
(*注1)邦訳は出ていないので、筆者による意訳。New Yorker誌掲載より。このセリフの後に、「こどもの頃、星を好きな形につなぎ直して、じぶんだけの星座をつくれる」と思った、というくだりがあります。偶然ですが、以下のエンパレットとも似ています。このように書くときに、点と点をつなぐ線を引いているのかもしれません。相手のセリフとじぶんセリフを想像でつなぐのですから。