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What’s holding you back?(何がジャマしている?)
心がつながり、寄りそいあう社会。
それが大切だと、あたりまえのように言われるのにー
なぜか、心がつながりません。
互いに寄りそうことは、カンタンではありません。
どうしてでしょうか?
個人の努力不足でしょ?
努力はいりますが、それは本質的な理由ではありません。
では、何が?
じつは、根本的な理由は、コミュニケーションそのものの本質にあります。
コミュニケーションとは?
相手に対して、用件を伝えるとか、質問に答えるもの。
意思伝達、質疑応答、メッセージのやりとり。
何か?と聞かれれば、大方、そんなふうに答えますよね。
言い換えると、あらかじめ決められた目的があり、それを満たす手段である、と。
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用件は?目的は?要点は?
質問は?返事は?
メッセージは何か?
コミュニケーションは、相手とメッセージをやりとりすること。
でも、それだけではありません。
というより、メッセージはコミュニケーションの(ごく)一部です。
メッセージが大切だ、というのとおなじだけ、大切なこと。
それは、メーセージを包んでいる、それ以外のこと、すべて。
そんなのあたりまえ。
言われなくてもわかっている。
気持ちでしょ、ニュアンスでしょ、ボディランゲージでしょ。
というものの、やはり、ふだんのコミュニケーションの中心にあるのは?
やりとりをして、目的を満たすこと。
ぐるりとまわって、そこにもどってきてしまいます。
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Don’t get me wrong.(誤解しないで)
それ以外は、二次的、オマケ。
たとえば、その時の気分とか、周辺の空気とか。
そこに表されない、ふるまいや心の動きは伝わりません。
メール、チャット、SNSは、その典型です。
文字には表れていないことがたくさんあります。
ネットを介したやりとりだけでなく、リアルな日常の場ではどうでしょうか?
その場で向き合っていれば、身振り手振り、仕草で伝わることがあります。
何を言うかよりも、どんなふうに言うか。
でも、文字のやりとりになると、字面によって伝える表現・意味以外の、細やかな情報を切り捨てることになります。
書いている時の気分や状態は、わかりません。
相手も、それが本当かどうかはわかりません。
やりとりの余白が切り捨てられたままだと、肝心な思いが伝わらなかったり、また、逆に意図していないこと(だけ)が伝わることもあります。
伝わるというより、受け手が考えるように意味をつくりだして、受け取ること。
ときに誤解だったり、思い込みだったりであることも。
それは、ある意味、当然のことでもあります。
相手と向きあう「文字のやりとり」は、余白を切り捨てることで、成り立つわけですから。
しかし、この「文字のやりとり」包んでいる、ことばの周辺、いわば余白部分にこそ、大切な心の動きがあります。
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出典・参照::エンパシームファウンデーション「じぶんは変わる」体験と実証のプロジェクト