Practice Self.(ひとりを、学べ)
山折哲雄さんは、こう言います。
「ひとりでいることは悪いのか?
世間では、ひとり暮らしの「ひとり」をことさら貶める風潮が増えてきている。
いつのまにかその「ひとり」を孤立とか孤独の親戚であるかのように扱う言動が目立つようになった。
「孤立死」とか「孤独死」といった言葉をもち出して、ことさら社会の暗部を読み解こうとばかりする。」
「もちろん、われわれの周辺には少子高齢化の深刻化により、介護や医療の必要な人々が増えている。
現実は厳しい。社会的な手当てがこれまで以上に必要なことはいうまでもない。
だがそれにしても今日、「ひとり」であることがあまりにも悪者にされてはいないか。
ひとり死に往く者の姿から、ただ助けてくれ、の絶望的な悲鳴しかききとろうとしない、貧しい想像力だけがこだましているからだ。」
「「ひとり」の現象をわれわれはいったいどこに求めたらよいのだろうか。」
痛切な響きがあります。
「歳を取った人のことば」では、決してありません。
すべての人、いえ、すべてものは、みな、ひとりです。
生まれたその日から、人生は、ひとりのプラクティスをしているのですから。
寂しい話なんかではありません。
「ひとり」をプラクティスすることが、生きることです。
ひとりであるからこそ、ひとりで生きているのではないことのありがたさに気づきます。
ひとりでないことに気づけるからこそ、ひとりのありがたさも味わうことができるのです。
ひとりを習い、味わい、深めることが、ひとりでないことのありがたさを生み出すのです。
ひとりで生きている、ではない。
ひとりを生きているのです。
だれもが、みな、おなじように、ひとりを生きている。
だから、みな、つながっているのです。
出典・参照:山折哲雄『ひとりの哲学』、以下のエンパレットなど
ひとりを自覚する勇気がじぶんの証 [だれにも知られない努力こそ]