Empathemian 多峯主山(埼玉県飯能市)

名栗川を下っていくと加治(かじ)という地域があり、川沿いに阿須(あず)という名の広い崖地帯がある。

谷川健一著『地名逍遥』は、万葉の歌を引きつつ、 日本各地のアズという地名を紹介し「アズとは崩れた崖や崖を意味する」と説く。その中に飯能市の阿須も記載されていて、末尾に「アズには坍とい う造字」があるという一文が加えられている。「土へんに丹」と書いてアズ。初めて読んだ時に、私は目が釘付けになった。

アズはアズキ(小豆)に 転じるなど、違う漢字が当てられる例は多いが、崖のことである。この崖の存在こそ、鉱物資源には不可欠だ。鉱物資源という、内面を直接見ることはできない。だから表出される場所を探り、垣間見るしかない。

同じように、「ありのままのじぶん」というものがあるとすれば、それは「じぶんという土壌」から表出する、無意識の素のふるまいに垣間見えるものだろう。あるいは、心の働きを伴って表出される声ことばの一瞬に響くものなのだろう。想像の鉱床から原石を採り出して抽出する過程。それは心の働きの表出する、小さなひと時をつくることなのだ。

Empathemian. 丹生のみちと竹林

ひとつ、明記しておきたいことがある。谷川健一先生の著作との最初の出会いは『青銅の神の足跡』である。
製鉄の炉を覗く仕事は片目をつぶして「一ツ目」や「メッカチ(目鍛冶)」と なり、たたら踏みが片足を不自由にして「足引き」となる。金属精錬という特殊技能によって石や砂の霊力を引き出す不思議な物理現象は畏れられ、 それは神になった。

穴師を足痛と書く理由、あしひきのがやまの枕詞である理由。挙げればキリがないほど、綿密な実証的データと跳躍する想像が網 の目となり、次々にミステリーが解かれていくような興奮に震えたことが忘れられない。

「記紀」の伝承にちりばめられた暗喩の数々。その中でも、 ヤマトタケルが水銀の毒に倒れ、足が「三重」に腫れてまがったという古事記のエピソードと、伝承の数々(白鳥伝説)に私は、強い感銘を受け、深い共感を抱いた。

アルマデンからサンフランシスコ湾の南端を望む

鉱物資源の精製は重労働と生命の危険を伴っている。前世紀の出来事であるアルマデン鉱山でさえも、毎年4人の鉱夫が中毒死したと言われる。地下の坑道・採掘場は、体温よりも高い気温で、湿度100パーセントという過酷な労働環境であった。

水銀の気体を肺から吸いこむと人体に致命的な打撃を与える。生れながらにして、啞の子ができたホムツワケ(炎から生まれた皇子)もヤマトタケルと同じく鉱毒の犠牲の上に国土の発展が築かれたという歴史を物語っている。

それほどまでに危険な水銀には、多岐に渉る用途があり、経済的な価値の大きな希少資源であった。水銀は地球の地殻に存在する元素の占める割合で200万分の一という少なさである。鉱床はやがて掘り尽されて枯渇するから、さらなる源泉を求めて井戸はより深く堀られ、 坑道は地中で横に伸びていく。

アルマデン鉱山もはじめの数十年で相当な量を採掘してしまったが、需要は増え続け、採掘できる限りの生産が長年続けられた。1975年に閉山するまでに、3万7千トン、フラスク瓶で110万本の水銀を産出した。


共感の精錬 (7) 光・空気・土・水と、隣人とともに生きている

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