失敗を恐れるな、と言いますね。
失敗とは、怖いものなのでしょうか?
間違えることが失敗でしょうか?
先生が答えを持っていて、それとおなじ答えを言うと、正解。
それは以外は、間違い。それが失敗でしょうか?
間違えてはいけないから、怖いのでしょうか?
それとも、期待どおりにならないことが失敗でしょうか?
それなら、期待どおりにならなくてあたりまえなら、失敗ではありませんよね。はじめはうまくいかないことが、プラクティスしているうちに、だんだんできるようになってくる。だから、失敗の数が多い方がいいはず。
それなのに、なぜ、失敗を恐れるな、というのでしょうか?
こどもの頃から、失敗しないようにすることが、いいことだと教えられてきました。小さなミスでも厳しくおこられたりすると、そのことの方が怖くなります。突然、失敗を恐れずにやってみろ、なんて言われても困りますよね。
はじめから、失敗じゃなくて、体験であり、実験だと言ってもらえればよかったかもしれませんね。「思ったようにいかない」ということが、学びの機会です。
こんなことを言った人がいます。
We fear being fearful.(「恐れる」ことを恐れている)
私たちは、怖くなることが、怖いのだ、と。
じつは、私たちは、失敗を恐れているのではなく、失敗した時のこと想像して、(その恐れる)気持ちを、恐れているのです。
もともと、うまくいかない、ということには、恐れるも、恐れないもありません。でも、失敗する前に、先回りして恐れるクセが、知らないうちについているのかもしれません。恐れるという、じぶんの気持ちが怖い。つまり、じぶんの意識をおそれている。言ってみれば、Fear(恐れ)ではなく、Fear of Fear(恐れの恐れ)。怖くなるのが、怖い。そういうことでしょうか。
だから、恐れるとは、そうならないように、はじめから避けようとすることとおなじです。
でも、だれだっておなじ、恐れをもたない人はいません。
どのような生き物にとっても、恐れは、危険から逃げる本能です。そのおかげで、生き延びる可能性が大きくなります。でも、何もしないでいることがよいということでもありませんね。
どうしたら、バランスをとれるのでしょうか?
怖れる・恐れない、ということを気にしすぎないようにするには?「おそれのおそれを」もっと和らげるには?
私たちは、正解を手に入れること、じぶんの損を減らして、得を増やすことがいいことだ、と思い込んでいるのではないでしょうか。だから、ちょっとでも失うことが怖くなってしまいます。
じぶんの持ち物のように思っているものも、はじめからなかったと思えばよいのです。 そうすると、しぜんに、ありがたい気持ちが湧いてきます。
じぶんの損得で考えることを、もっとへらすと、勇気が湧いてきます。
足し算ばかりでなく、引き算で考えてみればよいのです。Less is more. (引き算すると、勇気が湧いてくる)
ほんのちょっとでいいから、ひとことでいいから、引き算のことばを言ってみましょう。おなじ景色が違って見えるはずです。