
新渡戸稲造『修養』に、ある古歌が引用されています。
うつすとは 月も思はす
うつるとは 水も思はぬ 広沢の池
「月は水に映らんとして、映るのでない。
水も月を映さんとして、流れておるのでない。
流れておる間に、月が自然に映るのである。」
映そうとするのではなく、自然に映っている姿。
飾らず、構えず、そのままのじぶんの姿。
水にうつる月のように、ふだんのふるまいの中に、じぶんがおのずとあらわれます。
それは、無理に意識してつくったものではなく、自然の流れの中にあります。
修養とは、自然に表れる姿勢をふりかえることです。
ですが、私たちは、しぜんの姿をふりかえることよりも、意図的に何かをしたことばかりに気がいくものです。
達成したい目的のために手段を用い、その結果を見ることが大切だと思いがちです。
それは確かに、短期的な改善には必要です。
けれども、よい姿勢を身につけるための、ゆるやかな方向性を確かめること。
そのような継続のための修養は、あまり、ないようです。
人生、何をするにも、継続する力は欠かせません。
それなのに、修養の大切さに無頓着なのかもしれません。
エンパシームは、何をしたかの結果だけではなく、その時、どのような姿勢であったか、プロセスをあわせて写し出します。
自然な流れのなかにあらわれる、ふだんのじぶんの姿を、あとからふりかえるために。
Like moonlight on water.(水にうつる月のように。じぶんをふりかえろう)
出典・参照:新渡戸稲造 『修養』、以下のエンパレットなど
