ひとりになりたい。ひとりはさみしい。
あいだみつをさんのことばから。
「子どもも大きくなるにつれて、ひとりになって気持ちを安めたり、思索をしたりする時間や空間が必要であろう。くつろぐこと以外にも、希望、反省、計画、さまざまなことに思いをめぐらしながら、ひとり静かに自分と対話する時が欲しい。子どもでなくたって誰でもひとりになりたい時がある。」
「しかし、しかしだ。必要ならばいつでも、話し合いや相談にのってくれる友人や家族がいなければ、そう容易に希望など抱けるものではない、素直に反省もできるものではない。
「孤独」になることは、時に必要である。あるいはしばしば必要になることもあるだろう。しかし「孤立」はいけない。信じられる家族を失ったり、共感し合える友人が得られなかったら、ヒトであっても「人間」ではなくなってしまう。
「人」という字は、互いに寄りかかり合い支え合って形をつくっている。そして人は人の「間」にいて、はじめて「人間」になる。人はひとりでは生きていくことはできない。
ありがとうと、どういたしまして、の繰り返しが、人間の生涯である。
そういう人が持っている「ひとり」の時間に、豊かな意味がある。」
静かにひとりで「ふりかえる」時間の力。
その力を借りて、ふだん刻々と過ぎ去る体験を、味わい、かみしめ、自覚に高めることができる。
それはひとりでないとできない。
だから、ひとりになることは、時にさみしいけれども、それが「共感」の力を引き出すに糧になるということなのです。
じぶんの代わりには、だれも生きられない。
みんなが、おなじように、ひとりのじぶん。
No one can live in my stead. But I am not alone.
ひとりを自覚する勇気がじぶんの証 [だれにも知られない努力こそ]
出典・参照:あいだみつを『育てたように子は育つ』、『毎プラガイド』