
Words seed your view.(ことばが、見方のタネをまく)
夏目漱石の小説『三四郎』に、こういう場面があります。
向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。
美禰子は、こう言います。
空の色が濁りました。
三四郎は流れから目を放して、上を見ます。このような空を見たことがないわけではありません。けれども、「空が濁った」ということばを聞いたのは初めてでした。
気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。
美禰子は、さらに言います。
重いこと。大理石(マーブル)のように見えます。
A word can change the scene.(ひとことが、景色を変える)
空が濁る。(*注1)
透き通る藍が薄くなり、その上に白い雲が鈍く重なり、乳白、灰青、薄黄が溶け合っていく。
漱石が描いた「濁った空」は、光の散乱によって実際に起こりうる空の姿でもあります。
けれども、三四郎はその空を以前にも見ていました。
変わったのは、空ではありません。「濁る」ということばを得たのです。
濁るということばは、ふつう水などに使います。水の中に何かが混じり、透き通っていたものが見えにくくなる。
その性質を、美禰子は空へ移しました。
さらに「重い」と言い、「大理石のよう」と言う。空に重さがあるわけではありません。空が石でできているわけでもありません。
それでも、そう言われて見直すと、鈍く重なった雲が厚みをもち、乳白や灰青や薄黄の入り混じった空が、大理石の石肌のように見えてきます。
性質を別のものへ移して呼ぶ。すると、それまで見えていなかったものが見えてきます。
「空が濁る」と聞いて、空を見直す。三四郎は、同じ空を見ているはずなのに、もう前と同じ空を見てはいません。
See it through another word.(別のことばで世界を見る)
ことばは、見えているものに名前をつけるだけではありません。
離れていたものを結びつけ、境界を組み替えます。
水と空。重さと雲。大理石と夕暮れ。
別々だったものが重なったとき、ひとつの新しい経験が生まれます。
ことばを移すと、見え方が変わる。
見え方が変わると、同じ世界に、それまでなかったものが見えてきます。
作(文・挿絵・声にだすことば・声):坂口立考
出典・参照:夏目漱石『三四郎』、以下のエンパレットノートなど
(注1)澄んだ空が青く見えるのは、太陽の光が大気中の分子によって散乱するためです。波長の短い青い光ほど強く散乱されます。これをレイリー散乱と呼びます。ところが、空気中に微小な水滴や塵、エアロゾルなどが増えると、光は別のしかたでも散乱します。青だけでなく、さまざまな波長の光が散らされ、空は白く、灰色がかり、霞んで見えます。太陽が傾けば、そこに黄や赤の光も混じります。
