Empathemian『Do you hear what I hear?』

Can you hear?(聞こえる?)

ロアルド・ダールの短編に『サウンドマシン』というストーリーがあります。

クラウスナー氏は、ある発明をしました。
それは、人間の耳には聞こえない高周波の音を捉える機械です。

彼は、あることに気づきます。
この機械を使えば、木や花が傷つけられる時の「叫び」を聞けます。

クラウスナー氏は、スコット医師に話ました。
が、真に受けてはくれません。
「君、頭は大丈夫?」

この小説が発表されたのは、今から70年ほど前。
録音や音声解析技術の基礎は確立していました。(*注1)

「植物が痛みを感じ、それを悲鳴として表現する」なんてことはない。
その「常識」は、いまも変わっていません。

今では植物の持つ知性について、多くの知見があります。
植物もストレスで苦くなったり、縄張り争いをしたり、根のネットワークで情報を伝達したり。

でも、そういった知見に頼らずとも、わかるはず、ともいえそうです。
じぶんが「無下に切り倒され、足蹴にされたら」悲鳴をあげるでしょう。

現に、私たちは「心の声」という表現をよく使います。

・過労状態は、身体の悲鳴が聞こえていないから。
・じぶんの心の声が聞こえないと悩みも多くなる。

そんなふうに言いますね。
この作品は、想像・認識の限界や、探求心の阻害を浮き彫りにしています。

阻害要因は、じぶんの中にあります。

でも、それはあくまでアナロジーでしょ。
植物の心と言うにしても、悲鳴は出ないんじゃない?

どう思いますか?
サウンドマシンなんてバカバカしい?
小説の話?

You can’t hear it when you don’t want to.(聞きたくないものは聞こえないよ)

私たち人間の声のような悲鳴ではありませんが、音は立てます。
実は、私たち人間にも、大昔は、音声はありませんでした。
身体ジェスチャーで音を立てていました。

今でも、音声を出す専用器官はありません。
代用器官を総動員して、一連の流れをつくります。

声は空気の粒

横隔膜の押しあげ→肺の空気→食道の上昇気流→アゴ・口の運動→喉・口内の共鳴→舌や歯のせき止め→

何を声と呼ぶか、だけです。

直物は、人間のように悲しまない?
人間が人間世界の常識で言う悲鳴ではない、というだけでは?

いずれにせよ、心は「もの」ではありません。
心は、ふるまいです。
運動であり、伝播であり、共有です。

人間にせよ、植物にせよ、この地球上の空気に包まれて、ふるまう姿が心になります。

無意識に決めつけていること。
勝手な思い込み。

いろいろありそうですよね。
厄介なことは、そのことに気づきにくいことです。

Empathemian, Sunnyvale, CA

Unlearn your blindspots.(自己流のくせをへらそう)

エンパシームは、あなたの姿、動き、声に現れる心を映し出します。
ふだん、気づいていないこと、意識できないこと、無意識のクセや習慣を照らします。

手本のように、なりきるつもりで、やってみたけれど、うまくできない。
その姿に、ブラインドスポット(盲点)が現れています。

そのことに気づくと、うまくできない原因を減らして、改善する一歩が踏めます。
じぶん自身の声に多くのことが現れています。


出典・参照:Roald Dahl 『The Sound Machine』(1949)、英語トレイル「音を聞き取り、音で伝えられる」、以下のエンパレットなど
(*注1)スペクトログラムは、音声の時間的な変化を周波数ごとに解析し、視覚化、グラフ表示する技術および機械。
音を聞き取り、音で伝えられる。
疾風勁草 ① [しなやかさがプラクティスをまもる]
声の鏡「円符の発明」