子どもの頃、家に「おばあちゃんの鏡と呼ぶ、古い顔鏡があった。
分厚くて重たいその鏡は、兄と私の寝室の箪笥の上に置いてあり、私はよくその鏡を床に置いて自分の顔を覗き込んだ。
祖母は毎朝、保育園に通う私をバス停まで送り迎えしてくれたのだが、ある日、それは「すいぎんのかが み」だと教えてくれた。「すいぎんの」ということばに何か特別な響きがあった。それが水銀ということばとの最初の出会いだった。なぜそのような 記憶があるのだろう。
誤って床に落とした体温計の先から小さな銀玉がコロコロと転がりだした時も、祖母がいっしょにいた。銀の玉コロを指先で触 れようとした私を祖母は叱らず、やさしく「すいぎんよ」言った。
実は、もしかたしたら、あの鏡は水銀製ではなかったかもしれない。それでも、私が9歳の時に他界し た祖母との会話を想起できるのは、「じぶん」という地面に眠っている「すいぎん」という祖母の声の響きを採りだすことのできる資源になっているからだろう。「すいぎん」の周りに湧き上がる想像を、たったいま、採掘し、精錬している、という気がする。
私の実家は、埼玉県飯能市、名栗川(入間川)のほとりにある。
その川沿いに県道が通っていて市街地まではバスで15分くらい。一本道の街道 は、市街の入り口に差し掛かるところに信号機があり、そこで必ず車の列ができる。
保育園に通っていた時も、バスは決まってそこから50メートル のあたりに停まった。こんもりとしたブナの樹の枝がバスの窓までくっつきそうだった。そこに丹生明神がある。
50年たってもその光景はまったく 変わっていない。この木々の下をくぐり抜けると飯能の街だという、幼年時代の空間感覚も十分残っている。名栗川に沿って産鉄·鍛冶にまつわる地名が数多く残されているが、「丹生のみち」も私の故郷に届いていたのだ
その昔、丹生の民が飯能にやってきたことを知ったのは、自転車で丹生明神の前を通っていた中学の頃、母が執筆していた随筆『飯能歴史点描』が 地元の新聞に連載された時のこと。
以前、母が40数年ぶりにそのコピーを発見し、私に送ってくれた。
「平安時代から丹生を治める民·丹治比氏が東 国とつながりを持ち、子孫が相次いで武蔵国に下向してきた。丹生明神は高野山より勧請した氏神。夢を駆り立てる広大な新天地·東国の拓殖、開墾 事業であった」とある。
詳細は忘れていたが、初めて自分の住む町の意外な来歴に触れた時のほのかな悦びが蘇ってきた40丹生のみち。それは地下資 源を求めて、鉱脈沿いに集団が移動した道筋であると同時に「想像のみち」でもある。
技能と道具だけではない。未知の世界へ心が向くという想像が 人づてにつながること。パイオニアとは苦難と危険の道でもある。移住したカリフォルニアという私の新しい地元とも重なってくる。
事実、カリフォルニアは日本列島に似ている。火山があり、温泉があり、鉱脈がある。古い大地の活動で熱水鉱床のあった大地。
しかし、鉱脈は地下に眠っている。外からは見えない。アルマデンの山路を歩いても、遺跡がなければ気づきようがない。
鉱山師という探索のエキスパートは、まず地表に露出している場所伝いに歩いたであろう。
中央構造線は断層である。断層にそって水銀鉱床が見つかった。崖にむき出しになった赤い岩石を横から見ることができる
実は、サンタクルス山脈も、サンアンドレス断層(注1)とよぶ、カリフォルニアを貫く大地の裂け目に沿って走っている。
断層はかつて、熱水によって鉱脈ができた証でもある。断層があり、地震があり、露出がある。
水銀という元素は揮発性が高いので地中を移動し比較的地 表に近い所に鉱床をつくる。いくつもの要素が重なる所。偶然の出会いから手掛かりを得、そこに足がかりをつくって、地下に眠る資源を採り出すのである。
共感の精錬 (6) 鉱物資源と地名 へつづく
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(*注1)San Andreas Fault
写真:(Photo by John Wiley, Wikipedia) Aerial photo of San Andreas Fault looking northwest onto the Carrizo Plain with Soda Lake visible at the upper left.